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リタリン(Ritalin)

塩酸メチルフェニデート? だかいう覚醒剤ならぬ「向精神薬」であるこの 「リタリン(Ritalin)」という薬剤であるが、このたび うつ病への適応が除外された

ぶっちゃけていうと俺が困る。やめてよまじで!

白状すると(前々からブログやら何やらでちらちらと言ってたけど) 結論から述べると俺はうつ病(とADHD、他)なのです。 見えない? まぁそんなひどくないし。毎日ちゃんと薬飲んでるし。 おかげで最近の精神状態は未だ波はあるものの大分安定してきたところ・・・だったのになぁ。

この薬、飲み始めは効き目が強すぎたので、一個を半分にして飲まざるを得なかった。 飲んで10分くらいすると今まで狭く思えた自分の視野が突然開けてくる。木の葉の一つ一つが色も鮮やかに くっきりと見えるようになり「眼が良くなった」と誤解した(実際には集中力が各方面に増強されるのだそうだ)。 カウンセラーさんによると、薬全般にいえることでもあるが、リタリンは「補助輪」なのだ、と言う。 つまり俺からしていうと、「ものへの集中の仕方」が解らなかった俺に、「集中法」を教えてくれた補助輪、ということになる。 確かに多幸感(幸せに感じること)も少なからずあった。世の中がこんなに鮮やかだとは思わなかった。 リタリンを飲んで迎えた最初の秋は紅葉があまりにも綺麗で泣き出した記憶がある。

同時に思うこともあった。ああ、覚醒剤ってこういう感じなのかな、と。成分だかなんだかそういうのが覚醒剤によく似てる、 っていう感じのことはカウンセラーさんと医師さんから何度も説明された。分量を守って、飲みすぎないことが肝心。 ていうかたまに飲み忘れて仕事に集中できなくて(´・ω・`)ショボーンってなることばかりで、 逆にうっかり多く飲んだってことはなかった。 リタリンはあくまで補助輪。服用量は補助輪の大きさ。正しい一定の量を飲んでれば車輪も一定のままだし、走行も安定するのです。

しかし、あくまで補助輪。いつかは外さなければならない日も来る。それは解っているのだけれど、 こんな形で、走行中にいきなりスポーン! とか補助輪引っこ抜かれることになるとはなぁ。

そういうわけなのです。

笛をふく(1曲うp)

どうも、ソウコです。

やー、ほらなんだかんだ言って珍獣なんですよワタクシ。笛吹くのは楽しい。笛吹きしゅきしゅき! でも誰かに聴かれるとものすげえこっぱずかしくて死ね。'''車ん中なら大丈夫だろうと思って吹きまくってたら 農作業を終えて帰ってきたオヤジにエンカウンター'''。色々言われました恥ずかしい死ね。

で、ぶっちゃけ「笛笛ってそろそろウザい」って思っている閲覧者が大部分を占めておったと思ったところ、 友人から「いやむしろ続きうp」みたいなこと言われて一念発起ピーヒャララ。レコーディング開始するも やはり家族が帰ってくる。中断してしまう。結局満足げに作れたのは1曲だけ。でもいいか、ゆっくり、ゆっくりね。

でこれが今回の曲。

El Condor Pasa

これなら知らないものはいないですよ。賛否両論悲喜交々、ご意見お問い合わせいつでもお待ちしております。

なんていうか結局、誰かに聴かれないとうまくなれないっぽいってゆーか。むしろ誰かに聴かれることで意見聞いたり 反応見たりして明日の糧となるってゆーか。「うp自重汁」でも「うぜえ」でもいいから反応がほしいところ。 ないならないでその空間(間の間)を読んで、つまり脳内解釈するだけですがね!

さて、結局うまいとこ録音できないでいるけどこれから録音していきたい曲はこんなところ。備忘録代わり。

今がんばってる曲:

  • Drowsy Maggie(Irish Trad)
  • Blarney Pilgrim(Irish Trad)
  • 東方萃夢想(東方萃夢想より)
  • Lough Erin Shore(Corrs)
  • Rathlin Island(Irish Trad) ※最難関!

なんか意見ありましたらクダサイ

姑獲鳥の夏とオイラー(すなわち俺)

姑獲鳥の夏、ようやく読み終わった。

とても面白い。特に、脳と意識、そして心に関する「京極理論」ともいうべき理論展開に引き込まれてしまった。 脳あたりに問題のあるオイラーとしては、熟読せざるを得なかった。嗚呼、こうして京極ワールドに飲み込まれてしまったのです。

以下ネタバレを軽く含む内容になるので、ちょっとだけ間を空ける。

で、ネタバレはオイラーが最も好まないところとするものの一つであるが、それを推してもなおここに書こうとするのは、 前述のとおりオイラーの脳には多少なりとも問題があるからである。

みなさん自分の身体は普段どう意識していらっしゃるだろう? 少なくともオイラーは、「容れ物」のように感じている。 身体という容器があって、中身は空っぽである。いや、中身は実は「オイラー」で満たされている。だがその実、中身の「オイラー」は 結構スカスカで、身体の中を泳いでるようにも感じることがある。で、この容器には大きな穴が二つある。「オイラー」はそこから この世界を覗いているのである。

はい、意味が解らないと思う。つまりオイラーはこの身体の中に「引っ込んでいる」のである。目ン玉という穴だか双眼鏡だかそんなものを 仲介して、この現実世界を覗いている。オイラーはいつだってそんな感覚に捉われている。 ゆえにオイラーは、自分の身体というものに対して「自分のものである」という感覚に乏しい一面がある。はっきりと「これオイラーの手」と 制御下においていないような、そしていつか裏切られてしまうような、そんな猜疑心に駆られているのです。

たまに勝手に動いているような感覚がある。というか、オイラーが知覚しないところで手とか足が勝手に動いていることがある気がする。 以前「エイリアンハンド症候群」という病気について興味を持った事がある。調べて余計に自分の身体に対して恐れを抱くようになった。

椅子に座ろうと思ったら、なんか身体が半ひねりして椅子を回転させながら座っていた(らしい)ことがある。周囲の目は白かった。

あと、バレーで普通にアタックするはずがやはり身体が半ひねりしてかなり不可思議な背面アタック(?)を打ってこれがコートに入った。 仲間はほめたたえたがオイラーはなんでそうなったか理由がよくわからない。

こんな経過からオイラーは絶対なんかおかしいと思ったが、たぶん青っぽい春のせいだとも思っていた。だが今でもそれらは変わることなく、 これも青っぽい春のせいなのだとしたらオイラーはどんだけ未熟な人間なのか(心的な意味で)。

話が長くなったが、とにかくオイラーは心と身体の調和がとれていないのかなんなのかは知らないが、なんかこうなんだこれ? ってそんな感じ。 つまりオイラーが極めて自閉的だからというのはあるのだけど、そのあたりの観点が多分、京極理論にすごく共感したのかな? と思う所存。

あ、てか小説の内容ですよ。推理物では最近ありがちな「依頼人がすでに重要人物」というパターンでありながらも、ものすごく引き込まれた。 このへん、小説内にある「全体像を見れば実は大したことない」的な言葉は自嘲的だな、と思った。

というわけで次の本は「魍魎の匣」に決定。「どすこい(安)」とどちらにしようか悩んだけど、友人の推薦により。

Sally Garden

休みの日に家でゴロゴロしているのには理由がある。 そう、家族が誰もいなくなった隙に笛の練習&あわよくば録音をしたいと思うからです。 決して引きこもりじゃない、引きこもりじゃない、ヒキコモリジャナイ・・・ そう自分に言い聞かせ、部屋にこもる。引きこもりとはかくも苦痛な所行なり。

で、家族いなくならんのっすわ。父と母がおでかけ遊ばれるとじいさん帰ってくる。 じいさん出かけるとばあさん帰ってくる。みんな居なくなったと思ったらもう昼前。 みんな間もなく帰ってくる。思うに、世の楽器好きやレコーディングなさる方々はいかようにして 折衝をつけているのか。一人につき2千円ずつ渡し「これでちょっと外で食べてきなさい」 懐柔か。買収か。それもよかろう。でも身体は渡しても心は決して渡さない・・・!  そう思いたくなるのがヒト。1億手に入っても使い方ようわからんし別になぁー、 とか言ってる人に限ってサマージャンボ大当たりした瞬間に辞表出す。世の中そんなもんっすわ。

で、かろうじて誰もいなくなった瞬間(約1時間)に、笛の練習と録音をしてみたのす。 吹いた。ジャガー並に熱烈に吹いた。満足げ。紅潮した顔でモニタ見てみると録音途中で切れてやんのバーカ!

かろうじて最初の一曲だけ入ってたのがタイトルの名前の曲。

Sally Garden

で、たぶんみなさん聴いてみれば「あーどこかで聴いたことあるなぁ」と思われると思います。それは薬用養命酒のCM。

他のところでもポロポロと使われていると思いますが、元々アイルランドに伝わる曲で、おそらくアイルランド音楽の中でも 指折りで世界的に有名な曲だとおもます。のハズ。だと思う。たぶん。

ところで、この曲に触れた誰もが思うハズの事なんだけど、そもそもサリーって誰?

まずはググってみた

「魔法使いサリー」
定番ですね。はい次。

「インドのサリー」
インドの服がサリーっていう。

「ロングレッグ・サリー」
彼女もサリーちゃん。ていうか男か女かとか知らん。本名「ロング・レッグ・サリー」という ミドルネームも持つ憎い奴。足長。キモ。

「吉永サリー」
勇者王? 知らん。 ていうかその名前どうしても吉永さゆりを思い出して萎える。

「猫娘(ゲゲゲ5期)」
サリーでぐぐったらなぜか出てきた猫娘。ぬこたん・・・ハァハァ

というわけで、誰も「Sally Gardenのサリーって誰?」という疑問を持っていないことが判明。 なぜだっ。俺はマイノリティなのか・・・

次は歌詞をぐぐってみた。そしたらなんと意味深な歌詞が出てきたではないか。

It was down by the Sally Gardens, my love and I did meet.

She crossed the Sally Gardens with little snow-white feet.

She bid me take love easy, as the leaves grow on the tree,

But I was young and foolish, and with her did not agree.

In a field down by the river, my love and I did stand.

And on my leaning shoulder, she laid her snow-white hand.

She bid me take life easy, as the grass grows on the weirs

But I was young and foolish, and now am full of tears.

Down by the Sally Gardens, my love and I did meet.

She crossed the Sally Gardens with little snow-white feet.

She bid me take love easy, as the leaves grow on the tree,

But I was young and foolish, and with her did not agree.

自慢ではないが俺は日本人の中でも閉鎖的で内向的な日本人だ。 他の国の言葉なぞ知らぬ! いやつまり読めない。

しかし俺の天才脳をフル回転させるに、この歌の主人公はサリーちゃんと庭でちちくりあってたと推察。

でも俺バカだから? そういうのよくわかんねーっつーか? サリーちゃんと意見が合わなかったんですよと。

というわけでサリーちゃんは歌中の登場人物ということが判明。実在したかは知らぬ。

でもまぁ、良い曲だと思わない? ねえ? 俺の笛の腕前ではおそらく良さが伝っていないと思うので、 興味があったらyoutubeで探すとすぐでてきますよっと。

以前書いたどうしようもなく下らない記事について

以前書いたどうしようもなく下らない 二つの記事についてですが、 もうだいぶ面倒だし続かないのでここでぶっちゃけてしまうところによりますと、

この下らない話は、実話を元にして、ほとんどそのまま(のつもりで)書き起こしてあります。

この後色々あってこの男、ああつまりこれは俺自身なのですが、半泣きで山を全力で下りるハメになりました。

その時、そしてその後ナニがあったのかを書くには今のところモチベーションすっかり下がりすぎて予定にないです。

というわけで、駄文スマソ。