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Tabula Rasa of Richard Gariott

おそらくは敬虔なリチャード・ギャリオット信者なのだろう、と思っている。 Ultimaシリーズをプレイしたことがない上に、さほど彼について詳しくもないのに、だ。 ただUltima Online以外のMMOでUltima Onlineほど熱くなれたものはなかったし、 リチャード・ギャリオットが去った後のUltima Onlineへの熱があっという間に冷え切ったのも本音だ。 Phantasy Star OnlineもLineageIIもプレイしてはみたものの楽しくはあるが物足りなさを感じ、続かなかった。 それ以来、ネットゲームへ対するモチベーションもだいぶ失われ、唯一Master of Epicだけは ゲームの中でもゲームの外でも色々な意味で「ハラハラさせてくれる」ゲームで、楽しんでいる。

だが友人がGuild Warsへ強く誘ってくれた時もまったくモチベーションが上がらず、 またモンスター・ハンターへ誘ってくれた時も同様だった。しまいにはその友人とはケンカ別れした。 その時はなぜ自分でもこれほどMMOに対してUOほどの情熱が沸かなくなったのか分からなかったが、 最近、ふと思った。待っている、そう待っているのではないのか。

リチャード・ギャリオットを待っている。

魔道 倉子

ふとあたりを見回すと、同じ場所に立っている人などというものは誰一人としていないわけで、

ふと『そうこ』を「白銀の賢者」にしようと思い立ったのです、

賢者とは・・・
シップ(職業)の一種で、要件は「全六種の魔法を一定のスキル値以上で会得すること」
3段階のランクがあり、下から「紺碧の賢者」「深緋の賢者」、そして最高ランクの賢者が「白銀の賢者」となる。
白銀の賢者の場合、全ての魔法をスキル値90以上まで上げねばならないため他のスキルへポイントを割り振れなくなり、 その結果、ランクが上がれば上がるほどヒットポイントやスタミナ、魔法使いに必要な魔力やマジックポイントすら削らねばならなく、 白銀の賢者は「ネタじゃね?」と人に言わしめるほどひ弱になる。

今の中途半端な状態からより「魔法使いらしい魔法使い」を目指そう、と。つまりはそういうわけなのです

そして、

シップが 白銀の賢者に なった!

元々がウォーロックに限りなく近いマスターウィザードだったため、二週間ほど集中プレイして、ついに ねんがんの はくぎんのけんじゃに なったぞ!!

マスターウィザード/ウォーロックとは・・・
上に挙げた六魔法のうち破壊魔法・回復魔法・強化魔法・神秘魔法の四つを修めると『アルケミスト』というシップ(職業)に就く。
これら四魔法をさらに高め修練を積む事により、アルケミスト→マスターウィザード→ウォーロック、とランクアップしていく。
『そうこ』は元々マスターウィザードで、特に破壊魔法と回復魔法についてはほぼ最高位に達していたため、少々の神秘/強化魔法の修練(スキル上げ)と召喚/死魔法を会得するだけで割とすんなりだったとか。

skill1

これがスキルの一覧、『魔法熟練』とは、魔法を使用する際に大きな助けとなるテクニックを使えるスキル、決して必須というわけじゃないけど「魔法使いとは?」ということを考えたらこれがなければ『魔法使い』とはいえないんじゃないかな、と、そう思ったわけで、

その結果、

skill2

生命力 (0.4/75.0) = HP31

ひのきの棒を振り回し、呪文を駆使し、そしてスライムの一撃で気絶する。それが魔法使い

Comme(コメ)

最近はCommeがお気に入りだったり(∵)、

Comme ca(like this)

荒くれアスリートキックダンシングパフォーマーという誰がどう見てもネタキャラです、だがそれがいい

この「コメ」というキャラ名、確かCommeっておフランス語で、エゲレス語でいうところの「Like」に相当するんだよなーとか思いながら つけた名前だった気がする、あれ前にも書いたっけ? まぁいいや、で、どっちかというと「like this」(〜のような・〜なカンジ?) っていう使われ方をする、みたいなことを聞いたような聞かないような、忘れたからこんどちーぼうに聞こう、、、

で、そうこの方はというと相変わらず魔法熟練のスキルが一日に0.1上がるか上がらないかというマゾさで ようやく96.6までこぎつけマシタ、、、確か始めたのがおととしの12月頭だったから1年半近くかかってる わけですが(∵ ) マーあんまり気にしないで上げてたからっていうのはあるんですけれども、最近は緑色の「魔法熟練が0.1上昇した」 って文字がシステムウィンドウに表示されるだけですげえ飛び上がるほどうれしくなります、ユートピア! ユートピア!! 古いか

ガルガンチュアとガルガンドは相変わらずまったりゆったりとプレイしてますです、ハイ。

TCPとUDPのおはなし

TCPとUDP、最近はルーターとかもバンバン流通してるのでけっこう聞いたことある人も多いと思います、

簡単にいうとTCPとかUDPとかいうのは通信方法のことで、TCPというのは、ネットを行き来するデータすなわちパケットを相手に送った後、 「相手方にちゃんと届きましたよー」という返事をいただける通信方法。返事をいただいたり他の細やかな制御をするためにデータの長さが ちょっとだけUDPより長くなったり、あと返事を待ったり、ちゃんと届かなかったら送り直したりするので信頼性は高い通信方法、ただし 色々と時間と手間がかかっちゃうわけですよ到達するまでに。 対するUDPというのはそんな面倒な手間と時間をかけずに相手に一方的にパケット送りつけてハイ終わりの通信方法。付与するデータも 非常にシンプルにできていて、送り主は相手がちゃんと受け取ったかどうか確認する方法がなかったり、相手先もそれを受け取れなかったら ゴミ箱にポイするだけです。速さのUDP・信頼性のTCPなんてよく比較されますがまさにそのとおりだとおもます

で、

つまりどういうことかというと、いわゆるマルチプレイ対応とかのゲーム(MOってやつですね)で使用するポートにUDPが多いのは、 マルチプレイってのは大体ホラ、2人〜4人用とかのものが多いですね。そんなに複雑な通信は必要ないし人数少ないからエラーも出にくい、 したがって信頼性は低くても高速で通信ができるUDPをよく使います。ましてやそういう類のゲームはネット対戦とかのモノが多いだろうし だとすればスピードは重要ですからね、アーマードコアやS.L.A.Iのネット対戦だとかPSOとかが主にUDP使ってます。 一方、UOやリネなどのMMOはTCPにしないと大変です。人がいっぱい一つのサーバーに接続したりするので、複雑な通信が必要だし エラーも出やすいのです、なのでむしろUDPの出る幕は非常に少なく、時間はかかっても正確なデータを各PCにお届けしているカンジ、

ではもしMMOの通信の大部分にUDPを使ったらどうなるか? たとえばキャラが走ったりします、するといわゆる座標とか位置情報っぽいデータを連続で送信し、それがまぁ走ってるっぽくなる、と、 TCPで通信していると常に双方で「ちゃんと座標情報変わったよね」「うん、変わったよね」とお互い確認しあうことができます、が!  UDPの場合「座標変わったでーほいパス」「あ! ちょいまち落としちゃった! もっかいパス!」「やーもん送らへんもん。はい次の座標」 ということになり、その部分のデータはすっぽり抜け落ちて次に進むことになります、 するとそのターゲットに対し信頼性が落ちることになり「それ本当にソコあんの? 嘘ついてへん?」とか「もっかい計算しなおしやー」 とかいうことにしないとつじつまがあわなくなってきます。

つまりそういうことなんじゃないかなぁ、と思うんですよぼくは。うん( ∵)

資料集め中&整理

頭が悪いのでまとめさせてくだしあ、、

CESA オンラインコミュニティ特別委員会 発足説明会

※メモ:開催日 オンラインコミュニティ特別委員会より 2004年7月14日

Wikipedia

2002年8月8日 株式会社デジタルアドベンチャーが「ネットゲームセンター(NGC)」プロジェクト説明会を開催: プレゼンテーション

テラ・グループの親会社はテラ・コーポレーション(日本)

韓国にオンライン部門の会社テラ・コリアがあり、おそらくテラ・コーポレーションオンライン事業部(日本)がテラ・コリア日本事業部みたいな格好だったのかな、で、 そこに所属していたのがたぶん末武で、2002年秋頃には鯖が落ちたりキャラが消えたり、原因がどこかはさておきそんなことが連発

翌年の2003年3月頃?にデジタルアドベンチャーは早々に見切りをつけNGCから離れたんじゃないかと、同年4月に「テラ・コリア」を「テラ・オンライン」に社名変更したあたり、たぶん。 それともデジタルアドベンチャー 2002年12月 ポータルビジネス撤退、この時かナ?

いずれにしてもネットゲームセンターはこの頃からテラ・オンラインとテラ・コーポレーションのみで運営されてて、2003年12月22日には ギブアップ宣言、翌2004年2月末までにほとんどのゲームを停止、3月にはサイトリニューアルと称して コンテンツから停止したゲームを全て削除。

2004年5月にKO開始

2004年7月14日に「オンラインコミュニティ委員会」の発足説明会が開催され、テラ・コーポレーションオンライン事業部マネージャーの末武が出席、 グラビティだのデックス(アルテイル)だのゲームポット(パンヤ)も参加していた模様、多分自社の業績とか人気っぷりの自慢でもしたのかなと

でテラにしては珍しく2004年はこれ以降特に大きなコトもなかった(?)模様。

2005年に移り8月になるとオンライン事業部が独立し「ワープゲートオンライン」となる、社長は我らが末武。設立月日が昭和38年(1963年)3月25日なのは、おそらく何かしら別の会社 (末武が所有していた会社とか休眠会社?)とかを利用したんカナ? 、、、まさかねハハハ((∵ ))

とりあえず今の時点ではここまで、妄想整理整理っとφ(∵ )