iso tank

2007年6月21日

今日、

あ、厳密にいえば昨日

帰り道の途中でけっこう大きい交通事故があったみたいで、すげえ渋滞してたんですよ(田舎レベルで)。 で、どうやら本当に事故直後って感じで、俺が行った時ちょうど救急車が現場から出発したとこで。

ものすごい人だかりで(田舎レベルで)、カマ掘られたとおぼしきえらいひしゃげて歩道に突っ込んだままの車が 事故の大きさを物語っている、って感じで。

最初に考えたことは「野次馬に混ざってケータイで撮るべきか?/否か?」

頭の中で妄想してました。ケータイ越しに事故現場を覗き込む自分、

と野次馬の目と事故現場を仲介するレンズ。

妄想の中で、液晶画面を覗き込んだ瞬間、

自分のしている"事の深さ"に思考を中断した

この間の893ナンバーの車が2台ならんでいた 時にもちらりと頭をよぎった、そういったものへレンズを向けることの罪深さ。

マスコミやジャーナリストとよばれる人らは、被写体にではなくその"罪深さ"と、常に 向きあっているんだろうな。そう考えると、彼らはすごいと思った。目の前で起こった事、それらに向かって レンズを向ける、向け続けるという行為は、「おほ、スゲェー!」とか言っちゃってる通常の人間とは 明らかに一線を画し、カメラを回している時でも、常に己と向き合っているのだろう、

だよね?

2007年6月21日 への Writeback

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