少しずつ
そうね。ま、少しずつ。(∵)
最近、げんしけんとか見たんですね。オタクであることをカミングアウト できなかった主人公?の笹原とか、腐女子である自分自身を強烈に否定する荻上とか、 オレはオタクだ、と言い張りつつやっぱりちょっとビクビクしている他の面々だとか、 そういうのを見てたらふと、なぜかエースをねらえ!を思い返したりする。
「げんしけん」も「エースをねらえ」も、すごく考えさせられた漫画ではある。 というか俺は漫画オタクである。漫画から得られるモノは大きい。しかしその中でとりわけこの二つだけは他の漫画と印象が違った。様々なモノにコンプレックスを抱えて走っている 俺の心の琴線に触れた。
俺はオタクである。しかしソレを周囲に(明確には)打ち明けることなく、ここまで生きてきた。 しかし俺の体からにじみ出る俺オタクですよオーラにより俺はサトラレ状態なのである。 それでもなお「周囲にはバレていない」と一面では思っている。そんな自分がいるのだ。
ふと「山月記」を思い出してググった。自分自身の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」 により周囲と馴染めずに煩悶し、とうとう気が狂い人食い虎となってしまった男の話である。 俺はこの男(名は李徴という)に「お前は俺か」とツッコんだことがある。というか今なお ツッコみ続けているのかもしれない。そうだ。お前は俺か。欧米か。話がずれた。
とにかく俺はあらゆる自分より秀でるものにコンプレックスを抱いている。弟からはじまって、
息子にすら尊敬されている父親、自分より仕事がデキる先輩共、女性とマトモに話ができる
(そしてモテる)後輩、結婚目前の同僚。これは近しい人のみのほんの一例である。
実際はもっと多い(多分)。最近はおそらく、秋葉原を練り歩くオタクたちにすら
コンプレックスを抱いている気がする。これは無いものねだりかと言われれば実行可能だと、
為せば成る 為さねば成らぬ 何事も成らぬは 人の為さぬなりけり
(やろうと思えばできるんだよ、やらなければ何も始まらないよ、何もうまくいかないと
思っているのは、やろうとしていないからだよ、の意。上杉鷹山の句)とたしなめられる。
まったくもってそのとおりでございますだと思うだす。しかしそのゼロとイチの差に悩む。
そして成らぬ。為さぬ。
ふと、思ってみた。自分を欠点だらけだと思っている。他人より劣っていると思っている。 しかしその実、そうは思っていないフシがある。
ふと、思ってみた。変えよう変えよう、無くそう無くそう、と思っていてもそれは一向に成らない。
それはつまり自分を一生懸命否定しようとしているからではないのかと。
自分を認めてみよう。尊大な羞恥心も臆病な自尊心も、吐いた嘘も、劣等感も。 「自分ではない自分」など、何一つないと、その上で自分を隠すことをやめようと。 それで人食い虎になる事も、厭いはしないと。
例え三日経って忘れようと(∵)
追記
今ふと首を左に向けてみたら、月間カレンダーの他に小さな日めくりカレンダーを発見。
なやみはつきないな生きているんだもの
赤いハンコで”み”と書かれているそれはどうみても日めくりみつをカレンダーです。 ほんとに今までさっぱり気にしなかったので、今気づいてすごいビックリした。
なんだかサブリミナル的な作為を感じたりもしながら、これから新年会です。