春よ、来い
俺にも、この世の春が来たかもしんない。
俺にも、この世の春が来たかもしんない。
「花の慶次」より。
死とはなんぞや? これを考えない人はあまりいないのではないかな、と、最近になって、思うようになってきた。 自分だけが変人で、生きているのに死ぬことを考えてばかりいるのだ、と、考えていた。少し前まで。
近頃になって思うのは、自分の死とは、ということでなく「他人の死は自分にとってどういう意味を持つのか」だ。 葬式に参列することが多くなった、そういう年頃になった。また祖父が他界したりもした。
こういうことを書くときでも、自分はどうにも、「マンガ脳」で、そのマンガの受け売りなのだが、こういう言葉がある。
「死」とは、その人との関係がそこで終わることではなく、故人と自分の「新しい関係」がそこからはじまる、ということである。
死は、彼我の新たな関係のはじまりであって、ひとつの通過点なのだ。
だからなのかもしれない、「花の慶次」、あくまでフィクションなのだが、死に行く人に、前田慶次は、笑って、こう声をかけた。
「元気でやれよ!」
最期の別れで、祖父にこう声をかけた人がいた。
「またな」
そこで終わりではないのだから、そう声をかけられるのかもしれない。
だから自分もこう声をかけたい。
「お元気で」