iso tank 2016年 11月

雑踏の中の声

久しぶりに書いてみる。興味深いニュースがあったので。

騒々しい場所で会話が聞き取れないのは「隠れた難聴」であるとする研究結果が発表される - GIGAZINE

ADHDとアスペルガー症候群(と、副次的な鬱)を患っているけど、まさしくこの例に当てはまる。本当に声が聞き取れない。隣の人と話すにも、相当耳を近づけないと聞き取れないこともある。

車やバスに乗っている時もそうで、前や後ろの座席に座っている人の会話はほぼ聞き取れない。

担当医によると、音声を選択的に聴取する機能(カクテルパーティ効果)が働いていない、とのこと。

聴力検査では特に異常はない。音楽も普通に聴ける。オーケストラでもバンドでも。ただし、自分が「普通に聴けていると思っている」だけで、「聞こえ方」が他の人と違うのかどうかはわからない(クオリア? なのか?)。

オーケストラの音の中から「クラリネットの音」とか「ヴァイオリンの音」だけを聴き取ることも、普通にできている・・・と思っている。や、さすがに「あそこに座っている人の」とかいうのは無理。たぶん。

恐らく人間の「話し言葉」と楽器の奏でる「音」とでは、音そのものの複雑さ(周波数?)や、その音の組み合わせ(言葉やメロディ)が持つ意味の複雑さなどでは、人間の話し言葉の方が段違いに複雑だからなのだろうと思う。

まして複数人がそれぞれに会話している状況で、その中から特定の会話だけを抜き出せって? できるわけねえだろ! って思ってました。

でもよく考えてみたら、周りの人は普通にしてるんだよね。・・・うん、正直に言うね。お前ら全員、聖徳太子の生まれ変わりかなにかなの? って思いましたよ。これに気付いた時。心の底から。本当ですよ? 掛け値なしに。それぐらいあり得ないと思ったんです。

でもよく考えてみたら、聖徳太子は「一度に10人の会話を聞き取ることができる」のであって、「10人の会話からある2人の間の会話だけを抜き取って聞き取る」わけではないんですよねコレ。・・・ちなみに皆さん、実は10人の会話を把握できるんだけど面倒だから2人の会話だけ聴き取っていることにしているわけではないですよね・・・?

で、

これによりかなりコミュニケーションの色々な部分に弊害が出ているわけです。

周りが何を話しているか解らない → とにかくなにかコミュニケーションを取りたい → ぶっ込んでみる → 違う、そうじゃない

コレに気付いた時、あれ・・・? これ、俺、周りにすげえ迷惑かけてたんじゃね・・・?ってなりまして、ちょっと色々アレになって、うん、まぁ・・・

・・・うん、今なおまだアレはアレしてますが・・・そもそも気付けたっていうだけで、何も治っていないのですが・・・

・・・身についてしまった癖ってなかなか直らないんです・・・ましてや発達障害もあって「正しい形」が解らなくて尚更。

本題。

俺の場合、特に飲み会のような場所だと誰の何の話を聞いたらいいのかわからない状態になってしまうのと、そもそも飲み会以外の場合でも、集中して話を聞こう聞こうとすればするほど余計聞こえなくなる気がします。

担当医曰く、その話を全部聞こうとするんじゃなくて、要点だけでも聞き取れていれば、そこから話の全体像が掴めるようになってくる、もの、らしい・・・(健常者であれば)

ただし、発達障害もこの症状もまだ研究が進んでいない分野なので、上の2chのスレッドの>>1-2にあるように「音声の解像度」が著しく低いために音声の区別ができなくなっているのか、もっと違うところの「音声を選択する機能」に問題があるのか、またその治療法についても、ほとんど解明されていない。

解っているのは、発達障害者でこの症状がある人にはほぼ対処法がなく、トレーニングや気合いでどうこうできるものではない、ということ。

せめて一般論の対処法として、

  1. 静かな場所に身を置いたり、休憩時に頭の中をリセットする(何も考えないようにする)などして、神経の疲れを取る。
  2. 規則正しい生活リズムを維持し、しっかり睡眠・休息を取る。休日でも何もしない時間を作り、頭の中をリセットする。

これぐらいしか、できることが、ない。

トレーニング法がないわけでもないとのことで、聞いてみた。が、無理は絶対にするな、やってみてハッキリ効果があるとかトレーニングを持続できる(=辛くない)のであれば、という条件付きで、と念を押された

――健常な人でも1から10まで全部聞こえているとは限らない。先にも書いたけど無理に全部聞こうとしないで、聞こえるところだけ拾って残りは補完/予測している。それと同じことをすればいい。

無理に全体を聞き取ろうとしないで、聞こえる部分だけ聴き取る。聞こえなかった部分は補完/予測する。解らなかったり間違ってたりしたらちゃんと謝って(重要)、聞き返す。これを繰り返すことで、もしかしたら脳が学習して少しでも聞き取れるようになるかもしれない、らしい。

そういや、健常な人は会話をしながら相手の「話し方のクセ」などを自然に学習して、同じ相手であれば自然と補完/予測の精度が上がるらしいです。

担当医に「一番重要」と言われたのは「悩みすぎない」こと。

ゴチャゴチャした中であれこれ話しかけられたら、どんな人にだって許容量があるし、人によって差があるのも当然のこと。

そんな程度のことで怒ったり、もし聞き取れない性質であることを素直に打ち明けてもそれを疑うような人であれば、そんな人とは関わらない方が良い。

もしその相手が上司なら、部下のそういった性質をきちんと把握する義務がある立場の人間であって、それを疎かにするようであればその程度の上司。

その人の理解を得ないと今後の人生に差し障りがあるほどに大切な人であれば、その人に連れ添ってもらってしかるべき医療機関にかかることを勧めたい。

雑踏の中で話し声が聞こえないだけで死ぬわけじゃない。これまでも生きてきた。これからも生きていける。

できないものはできないとして、周囲となんとか折り合いをつけて生きていくしかない。

それしかないのだと思う。

が。

嫌われるのがものすごく辛い。

万人に好かれる人間になれないのは当たり前。でも嫌われているのが解るのは死にたくなるほど辛い。そして嫌われている原因なんて解らないことがほとんどだし、解ったとしても解決できることの方が少ない。

色んな事を考える度に、何度でも何度でも改めて痛感させられるし、その度に本当に辛くなる。自分は生きることに向いていない。

曰く、「余計な事を考えすぎている」らしい。『杞國 有人憂天地崩墜 身亡所寄 廢寢食者』ってそういや中学だかで習ったっけな・・・