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疑惑の集落(二)

×××沢集落跡――新しい誰かが住んでいる――へ向かう。山沿いに曲がりくねりながら、先の見えない沢道は延びていた。

必要以上の汗を流しながら、沢奥の「調査」を頼まれた男は、その砂利道の上を白い軽トラックと共に駆け上る。 窓を開け放っていると山アブがわんわんと車の中に入り込んでくるので、この暑い中でも窓は閉め切らざるを得なかった。 エアコンなど望むべくも無い軽「農用車」でそのような行為は、体内から大量の汗を分泌させるだけの行為にすぎない。

しかし山アブに車内に入ってこられるのは怖い。山アブはあまり人を刺すことはないが、まず、図体が大きい。そして図体の ぶんだけ羽音が五月蝿い。ましてこんな山奥で窓を開けようものならば、一匹、二匹ではない、十数匹から数十匹単位のそれらが 一気に流れ込んでくるのだ。到底、運転どころではない。

今なお窓ガラスのそこら中から聞こえてくるビチビチという音がそれである。

よって、労働のための尊い汗を流しながら、状態の悪い路面に愛用の軽トラックをやたらと揺らされつつも沢を上る。 男は以前、この道を山菜取りで通ったことがあった。しかしその時とは様相が違い、道幅が広く作り直されている上に、ダンプカー などがすれ違うことができるようにであろう、ところどころに広い待避所が設けられていたことに、まるで通ったことがないような、 それでもどこか懐かしいような、奇妙な感覚を覚えた。

頭から背中から汗にまみれじとっとした不快感も、それに拍車をかけていたのだろう。

昔あったという×××沢集落の事は、この男も話には聞いたことがあった。沢奥のさらに奥にあり、以前は家も多くあり 学校まであったという。ただ、場所が場所であったため熊や猿、狸や雉などの野生動物が闊歩している上、冬になると大雪で 道が完全に消えてなくなり、かんじきを履いて沢を上り下りしなければならず、それ故に外から人が入ってくる事自体 ほとんど無かったという、この比較的閉鎖的な村の中でもひときわに閉鎖的な集落。

しかし、時代と共に一人去り二人去り、ついには学校が消え、それと共に人がいなくなったのだという。 最も近い学校までは、その×××沢学校を除いては、冬にはまずかんじきを履いて山を数時間かけて下り、そこからさらに 近くの学校まで小一時間程度歩かねばならなく、学校と共に集落が消えたのは、止むに止まれぬ結果であったらしい。

と。十数分あたり走ったろうか。男は車を止めた。

しかして、首を傾げた。

目前に、覚えのない、分かれ道が現れたからである。

記憶では、ここで右にカーブして一度沢を下り、また上るのだが。はて。それにしても、こんなカーブではなかったはずだ。

さらには、分岐点の二股のところに、朽ちたブルドーザーが打ち捨てられていた。見たところ、動かせそうな様子ではない。

これは何なのか。少々、考えざるを得なかった。

腕を組み、首をさらに傾ける。こうすれば良い考えが浮かぶのかは、わからない。誰も見ていないこんな場所でこんな格好をとる 自分。バカではないか。

結局頭の中はなにもまとまらず、首を巡らせると、ふとあることに気がついた。

今、軽トラックで走ってきた道の下――谷側――に、さらに細い小さい道が、大きい道に這わせるように伸びている。

「いや、違う」。男はその道に下り、周囲を見回して、確信を得た。

今走ってきた道は旧道を広げた道ではなく、元の道の上に作られた新しい道なのだ、と。そして、この細い道こそが、以前通った 「旧道」なのだと。

これは何なのか。

これほど手間暇をかける理由は何なのか。打ち捨てられたブルドーザーは。いや、それ以前にこんな大工事――まったく気が つかなかったのか。

男が潰した臆病心が、再び膨れ上がってきた。

しかし、ここまで来て何も確かめずに帰ることはできない。男は再び臆病心にふたをかけ、軽トラックに乗り込んだ。

乾いた汗が、パリと音を立てたような気がした。

結局、思い切って左の道へ進んでみることにしたが、やはりどことなく見覚えのある道だった。どうやら、元々あった沢道と 沢道をつなげる「バイパス」であったらしい。いや、バイパスというよりはショートカットが正しいか。回り込むようにして 行かなければならなかったところを、山の一部を少しだけ削って、まっすぐ通れるようにしたようだ。

これほど手間をかけるとすると、やはりリゾート地か。そういえば、ゴルフ場を建設するという噂もあった。 それならば納得がいく。

――いくかこの馬鹿。車で何十分もかかる。熊だの猿だのが出る。山アブはわんさかだ。しまいには、冬は 雪上げ――雪が深すぎて雪を「下に落とす」のではなく「上に積み上げる」のでこう呼ぶ――を一週間も放っておくと、家が 潰れる。

「田舎暮らし」などに夢を見ているどんな物好きがいでも、こんな所に家を建てようなどと思うはずがない。

そしてまた分かれ道。今度は記憶にある道だった。が、やはり道は広くなっている。どこか途中で拡幅工事した旧道と合流して いたのだろう。どこで、だったかは、わからないが。

だが、この分岐があるということは、既に旧「×××沢集落」の中へ入った、ということだった。昔はこのあたりにも家が あったらしいが、完全に藪になっており、家があった当時の面影を微塵にも思わせない。

つまり右に行っても左に行っても×××沢集落である。左はずっと下り道で、数キロの後に「一般的な公衆用道路」に至る。 おそらく道にこびり付いたゴムの匂いが、懐かしささえ感じさせるだろう。右は、さらに奥に入る。確か下に住む誰だかの田んぼ やら畑が残っており、その先には小さな橋と、橋無橋(はしなしばし)、そして、×××沢小学校跡地。

右、か。なんとはなしに、そう思った。

エンジンを駆る。どことなく、音が軽い気がする。右に曲がり、多少の下り道。左に折れて、まっすぐ。

視界が半分だけ開いて、左手に広い「田園跡」が見えた。以前、田をやめて畑にしようとしたが、失敗したらしい。 なすだかきゅうりだか、よくわからないが何かがなっていたような痕跡が残っていた。

無言でエンジンを駆る。無言だったのは最初から。では何を閉ざしたのか――?

思わずアクセルを緩め、しばらく無表情だった顔を、思い切り歪めた。何をしていた。心まで無言にしていた。 心を止めようとしていた。恐怖を閉ざそうとしていた。

怖いのか。怖くないわけがない。まだ何にも直面していないのに。臆病。

頭が巡る。怖いものは怖い。どうすればいいのか。未知のものに対する恐れを飲み込むことができない。

アクセルを吹かす。気持ち、そっと吹かす。だが甲高く吹かす。よし行こう、相棒。

そうとでも思わなければ、引き返すことはおろか、動くことすらできなくなりそうだった。

ガタガタという騒音が再開した。小さな、本当に小さな石橋を渡る。車一台分の長さもないが、それはかろうじてそこにあった。 正直、壊れてはいやしないかと心配したが、その杞憂はたった1秒で解決した。

その先には、高い木々のない、薮やら背の低い木やらの群生地。このあたりにも家が数件あったらしい。薮の中を覗けば 昔の家の残骸くらいは見つけられたかもしれない。そのぐらいの余裕はあってもいいかもしれない。数瞬の躊躇の後、黙って アクセルを踏んだ。

さて。次は難関、橋無橋だ。何のことはない、橋がないだけであるが。かつてはアーチ状の橋がかかっていたらしい。

小川なので、軽トラックなら渡れるといえばそれまでだ。雨さえ降っていなければ、渡れる。

ざぶん、と、突っ込んだ瞬間に意外と深そうな音がしたときはヒヤリとしたが、そこまでだった。その先は浅く、 難なく突破できた。

少々勾配のきつい上り坂を一気に駆け上り、広い野原が見える。小学校跡地だ。

野原の入り口あたりに車を止め、野原の中央付近に両の足を使って立ってみた。

もはやどこに校舎があってどこがグラウンドだったのか、解る由もない。すべては緩やかな傾斜のある野原と化している。 面影どころか、残骸ひとつすらなかった。

ふむ。どこからどこまで、薄らいではいるものの記憶の中のその通りであった。新しい家も、誰かの手が入った様子も、無い。 途中に分かれ道などあっただろうか? ――無い。

大きく、息をついた。

ここまで来て何も無い以上、引き返して――先ほどの分岐を反対側に行ってみるしかない、か。

安堵感と、どっしりとした重たい感触があった。

山アブを追い払いながら素早くドアを閉め、それでも入ってきた数匹の山アブは窓を細く開けそこから外に追い払ってやった。

軽トラックがぐるりと小学校跡地を一周し、もと来た道を引き返す。下り坂が急すぎて一瞬後輪の接地感が無くなったこと以外に さしたる問題は無かった。橋無橋という名のただの小川を横断し、一本道。車体が軽い。

事件はその直後だった。

なんとはなしに、周囲の山々を見回しただけだ。沢の奥のまた奥ということもあり、男の住む、沢下の集落に比べ、山はまるで 切り立ったかのように鋭角さを主張していた。ほんの数キロ奥に入るだけだが、沢下のなだらかな山々は、ここの山から見ればただの 丘でしかないだろう。

山に口がついていたら、なんと喋ったろう。

やい、人間。勝手にヒトの頭にモノを載せるな。

そうとでも言っただろうか。

どう思ったろうか。

自分の頭に、大きな大きな、御殿を建てられた山は。

それは間違いなく、ヒトの手による建造物だった。

二度、三度と瞬きをして、目を凝らした。

凝らせば凝らすほど、間違いなくそれは「家」で、御殿のような作りをしている事まで解ってしまった。

「はあぁ〜〜!?」

向かいの山の、お山の天辺に鎮座する御殿。

思わず窓を開け、ここぞとばかりに山アブがわんさと車内に押し寄せた。

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