iso tank 2010年 04月

春よ、来い

俺にも、この世の春が来たかもしんない。

「元気でやれよ!」――前田慶次

「花の慶次」より。

死とはなんぞや? これを考えない人はあまりいないのではないかな、と、最近になって、思うようになってきた。 自分だけが変人で、生きているのに死ぬことを考えてばかりいるのだ、と、考えていた。少し前まで。

近頃になって思うのは、自分の死とは、ということでなく「他人の死は自分にとってどういう意味を持つのか」だ。 葬式に参列することが多くなった、そういう年頃になった。また祖父が他界したりもした。

こういうことを書くときでも、自分はどうにも、「マンガ脳」で、そのマンガの受け売りなのだが、こういう言葉がある。

「死」とは、その人との関係がそこで終わることではなく、故人と自分の「新しい関係」がそこからはじまる、ということである。

死は、彼我の新たな関係のはじまりであって、ひとつの通過点なのだ。

だからなのかもしれない、「花の慶次」、あくまでフィクションなのだが、死に行く人に、前田慶次は、笑って、こう声をかけた。

「元気でやれよ!」

最期の別れで、祖父にこう声をかけた人がいた。

「またな」

そこで終わりではないのだから、そう声をかけられるのかもしれない。

だから自分もこう声をかけたい。

「お元気で」