iso tank 2012年 07月

適当に思いついたけど、これって右なの左なの?

ヒトは長い時間をかけて「手」を巧みに利用できるようにした結果、ヒト以外の生命を自分たちで繁殖・飼育し、容易に食糧としたり、共生したりする手段を習得した。

また「火」を自分たちで生み出し、夜を明るくしたり、食糧を火にかけることで栄養の摂取をより容易にした。

おそらく長い長い時間をかけて少しずつこれらの技術の習得に至ったのだろう。

そして、長い長い時間をかけた結果、ヒトはそれまでの「生存競争」「食物連鎖のヒエラルキー」から少しずつ脱却し、平和を得て戦争を棄てることに一定程度成功したんだと思う。

しかしそれにより、それまで必要だった「競争する力」は不要なものとなり、生命として存続するための必要最低限の競争力さえ残ってさえいれば、それ以上は不要となった。

だけど、長い長い間ずっと他の生物たちと戦争をして勝ち残ってきた記憶は簡単には失われない。つまり「競争力」は不要になったからといってヒトの中から簡単に消えていくようなものではない。きっとヒトのずっと深いところに、戦争の歴史も、移ろう過程も、今日これまでの歴史はすべて記憶されている。

結局持て余した競争力は、ヒトという種族の内部で「戦争」や「暴力」として消化している、というのが現代までの過程なのだと思う。

ただ、現在もまた過渡期に過ぎないと思う。

どのくらい未来になるかはわからないけど、きっとずっとずっと先では、「戦争」や「暴力」として非生産的に消化されているだけのこれらが、もっとずっと素敵な何かに変貌を遂げていることと思う。

そう思うと未来が若干楽しみだったりする。